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 事の発端は新井紀子(@norico)さんの3つのつぶやきでした。

2010-01-23 10:01:52
昨日、まじで泣きそうになったこと:「√xの定義を書きましょう」の課題に対して、なんと全員が「二乗するとxになる数」と書いてよこしたこと。

2010-01-23 10:02:13
で、「間違ってます」と返したら、ほとんど考えずに、「なんでですかぁ?」って聞かれたこと。

2010-01-23 10:04:55
あのね、二乗したらxになる数は(1)2つ存在する(2)1つだけ存在する(3)存在しない、の3パターンありますけど。>生徒たちへ

 このつぶやきを見かけた段階では「知識の正確さ」を問題にしているのだと思い、気にも留めていませんでした。「まあ、いるよね、そういう学生」くらいの気持ちです。
 外出先から帰宅してツイッターを開いてみたら、togetterに「√xまとめ」なるものができていました。数学を趣味とする者としては、この話題がどう着地したのか興味があります。さっそく読んでみました。
 そうしたら、僕にとって意外な展開になっていたのです。冒頭のつぶやきを発した新井紀子さんは「知識の正確さ」が問題ではないというのです。

2010-01-23 11:04:37
みなさんは問題の所在を「教える内容」だと思っていますがそれは違います。彼らは、(1)4=x^2をみたすxを求めなさい、という問題には、正しく2,-2と回答する。(2)√4はいくつですか?と聞くと、2と正しく答える。(3)が、√xの定義はなんですか?と聞くと、二乗するとxになる数

2010-01-23 11:05:23
と答える論理的な破たんにあるのであって、「本来√はどのように教科書で定義すべきか」というような技術論ではありません。

2010-01-23 11:12:32
さきほど書いたように、私は「知識の正確さ」を問題にしているわけではないんです。 @hyuki @noricoco 先生、もし全員が「二乗するとxになる数」と答えたなら、優秀な生徒さん達のような気がします…それに「だいたいあってる」し(^_^;

 PCの前で悩んでしまいました。ここで言う「論理的な破たん」とは何ぞやという悩みです。
(※新井紀子さんのつぶやきにおける「論理的な破たん」のことを以下では「論理の破綻」と表記します)

 真っ先に思ったのは、問題の核心は本当に「論理の破綻」なのか、ということです。
 そもそも、この√xの話題、「知識の正確さ」を問うていないのであれば「(学生が持つ)知識に整合性が取れていない(辻褄が合っていない)」ことが論点なのでは。「知識の整合性」と「論理の破綻」って同じものでしょうか? ますます「論理の破綻」とは何だかわからなくなりました。

 状況を整理してみます。
 「(1)方程式 x2=4を解け (2)√4を簡単にせよ」に「(1)x=±2 (2)2」と正確に答える能力があるにもかかわらず、「(3)√xの定義を書け」には「(3)2乗するとxになる数」と答えてしまう。学生の解答(1)~(3)には間違いなく整合性がありません。
 しかし、発端の問いは(3)のみ。この問いに「2乗するとxになる数」と誤答した時点では、学生の頭に(1)(2)は意識になかったと推測できます。
 (1)(2)の存在にその瞬間意識がなくても、誤った(3)の解答と(1)(2)に整合性が取れていなければ、それを「論理の破綻」と呼ぶのでしょうか?そしてもう1つ。(1)(2)の存在に意識があったとした場合、(1)(2)の存在と誤った(3)の解答に「論理の破綻」があると呼ぶべきでしょうか?

 ちょっと思考実験をしてみます。先の(1)~(3)の問いに「(1)x=2 (2)2 (3)2乗するとxになる数」と解答した学生がいたとします。(3)に加え(1)も誤っています。
 この学生は(誤った知識だが)「知識の整合性」は取れています。「知識の正確さ」を問題にしないのであれば、この学生をどう評価したらいいのでしょう。はたして「論理の破綻」はきたしていないと評価していいのでしょうか?

 僕が考える「論理の破綻」というのは、「PならばQ」に対して「ならば」の使い方を誤っていることです。「ならば」の部分は演繹法・帰納法・背理法さまざまです。あくまで「つなぎ方」が焦点です。
 1つだけ具体例を。「犬は生き物である」「父は男である」は正しい文です。しかし、《「犬は生き物である」ので「父は男である」》なんて発言する人がいたら、その人はおかしと判断されます。何がおかしいかと言えば、それは「ので」というつなぎの部分です。論理の使い方が間違っています。これを「論理の破綻」(というほどの大げさなものでもありませんが……)だと考えています。

 さて、元の話に戻します。学生の解答は「論理の破綻」を犯しているのか、という話題です。
 (3)で間違った学生に対して、(1)(2)を持ち出して「ほら、あなたの解答は間違っているでしょう」と先生が反例を提示しました。反例が1つでも存在すれば、それは確かに正しくありません。つまり「(1)(2)から(3)が誤りである」ことが示されました。
 その反例を提示したのは先生。学生ではありません。「(1)(2)」と「(3)が誤りである」とを先生が論理を使ってつないだのです。

 この現象を学生の「論理の破綻」と言うのであれば、学生自身が「(1)(2)」と「(3)が誤りである」とをつなぐことを望んでいたのでしょう。
 ということは、新井紀子さんは学生に対して「持っている知識が論理的に破綻のないように整合性をとっておくこと」を要求しているのでしょうか。表現を改めれば、各々が持っている知識における「論理の破綻」を論じている、ということで正しいのでしょうか。
 この僕の予想が正しいのであれば、そこから発生する興味は2つ。
 1つ目は新井紀子さんは数学者として教育者として学生にいかなるフォローしたのか、という点です。「ほら(1)(2)と(3)に整合性が取れていないではないか。は~(ため息)がっくし」で済ませたのか。それとも、何か適切なアドバイスをしたのか。非常に興味があります。
 2つ目は各々が持っている知識における「論理の破綻」と「知識の正確さ」の境界線は何だろうか、ということです。突き詰めると、どうしても「知識の正確さ」にたどり着いてしまうのですが、その手前でラインを引いているはず。そのボーダーラインが気になります。

 ちなみに、この√xをめぐる学生の問題点。僕は違うところにあると考えています。それは「論理の破綻」でも「知識の整合性」でもなくて、学生の「思考の粘り強さ」や「慎重さ」です。
 「思考の粘り強さ」や「慎重さ」と考えると救いがあります。なぜならば、学生の「粘り強さ」や「慎重さ」は訓練により向上できるもので、教育で解決できるからです。もちろん学生に要求するより遥か多くの「粘り強さ」が教育者には必要ですが。


 長々と文章を綴りました。思考がまとまらないままに書き出したら、あっちを直しこっちを直しで3時間近くかかってしまいました(なんて効率の悪い)。ようやくそれなりのところに着地できたように思います。
 着地はしたけれども、正直スッキリはしていません。数学教育に興味がある者として、この問題をスッキリさせる必要を感じています。すっきりしていない点を問題提起として太字にして挙げました。お答えいただけるとうれしいです。
 ここで挙げた問題提起は「正しい・正しくない」を決める問題ではありません。各人の信条・立場に応じた一番スッキリする答えを見つける作業です。
 ちなみに僕は「自分と違う意見・考えを持っている人は、自分とは違うものが見えているはず。だから、その意見・考えをぶつけ合うことで新しい視点が開けてくるはず」と考えています。だから後学のために反論大歓迎です。

 ええと僕のツイッターアカウントは@tb_lbです。つぶやきの文頭を「@~」で始める「限定@返信」ではなく、途中および文末に「@~」を書き込む「公開@返信」で、広く読んでもらうのを望んでいます。皆様どうかよろしくお願いいたします。

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