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最近ラジオを聴くことが増えています。
テレビと違い、視線を奪われず聞きながら作業をすることもできて、学生の時には勉強しながら聴いていたものです。社会人になって久しく聴いていなかったのですが、ポータブルラジオを買って以来、またラジオ熱が再燃しています。
そんなラジオですが、聴くスタイルは今は昔とは変わりました。
昔は特定の番組を追いかけていましたが、今ではチャンネルを変えずに流しっぱなし、聴きっぱなしというスタイルに変わっています。
そんなときに気づいたことがあります。
これはもしかしたらラジオに限らず、テレビ、特にワイドショーでも同じ現象が起きているのかもしれません。あくまでもラジオを聴いていて気づいたことです。
気づいたこととは、「ラジオが(政治家やスポーツ選手などを)否定・批判することを売り物としている」ということです。
例えば、現総理の麻生首相に対して。ちょっと前ならば、朝青龍に対して。
確かに客観的にも問題があったと思います。そこを覆すことはできないし、必要もないでしょう。
それにしても事実を伝えるだけでなく「ダメだダメだ」と連呼して、リスナーが煽られている気がします。
でも、こんなニュースを聴いていると、嫌な気分がむくむくと沸き起こるのです。
そんな折り、今日2月13日(金)発売の『週刊ファミ通』2009年2月27日・3月6日合併号を読んでいて、嫌な気分が沸き起こる理由が納得いったのです。
『週刊ファミ通』で毎週、桜井政博さんが『桜井政博のゲームについて思うこと』というコラムを書いています。桜井さんは『星のカービィ』や『スマッシュブラザーズ』などのゲームを手がけた方です。
今週の桜井さんのテーマは「否定が一人勝ちする法則」。
ゲームを作るのにチームを組まなくてはなりません。様々なメンバーがいる中でチームの方針に否定する人が現れることがあります。そんな人たちに関する話です。
否定する側は絶対的勝者になるという一節が心を打ちました。
否定していたとおりの問題が発生すると「ほら、言ったとおりになった」。問題が起きなければ「言った問題が起きなくてよかった」。どちらにしても非難を受けなくてすむ立場にいられるというのです。
桜井さんは続けます。
否定するときには、否定だけしていては生産的ではない。決して何も生み出すことはない。
だから否定するときには、「○○がダメだから、こうしよう」と新しい提案が必要なのだ、と。
同じ目標を持ったチーム。新しい価値(商品とかアイデアとか)を生み出すためにいるわけです。そんなチームだからこそ、否定だけでなく解決策も同時に提案できないといけないのです。
ラジオの話に戻ります。
政治家を否定してみせたり、スポーツ選手を否定してみせたり。問題点を指摘するのもマスコミの大事な役割でしょう。
でも、誰が見ても明らかな目に見える問題点しか指摘しないのでは、何も生み出していないのと同じであると思うのです。煽ることしかせず、解決策を提示できないマスコミに価値があるのかと思うのです。
ふらふらと思考がここまでまとまったとき、突然発想が飛びました。
今週2月10日(火)発売の『イブニング』に連載されている石川雅之さんの『もやしもん』。
ストーリーは割愛しますが、今回のセリフにこんな趣旨のものがありました。
「選択肢がたくさんあるというのは豊かなことなんだ」
否定というのは選択肢を減らします。解決策を提案すれば、選択肢を減らさずにすみます。
僕が嫌な気分を抱くマスコミの「否定ショー」は豊かさと逆行しているのだということに重い至りました。
「豊かさ」というキーワードが思い浮かんだとき、再び、発想が飛びました。
高校時代の家庭科の授業でのことです。暉峻淑子さんの『豊かさとは何か』という本を読んで、感想を書くという課題が課せられました。
これを読んで、ラジオを聴いたときと同じ嫌な気分になったのです。
乱暴に誇張して本の趣旨をまとめます。日本の労働環境はなっていない。ヨーロッパに倣うべきだ。でなければ「真の豊かさ」は得られないと主張している本です。(要約といえない乱暴なまとめ方です。)
嫌な気分を抱いた僕は、この意見に真っ向から反対する意見を書いたのです。「日本を否定するのが豊かさにつながるのか」と。
ラジオを聴いて抱く嫌な気分と、昔感じた『豊かさとは何か』を読んで感じた嫌な気分が一致した瞬間でした。
「否定」からは「豊かさ」は生まれません。
あれがダメだ、これがダメだといっていても、破壊を生むだけ。気分を害するだけ。負の価値を生み出すだけです。「豊かさ」とは逆行してしまいます。
ふと思うのです。
マスコミや本の中で展開される「否定」。なぜ、こんなにも「否定」が蔓延しているのか。
きっと「否定」が絶対的勝者になり、それが心地いいからだと思うのです。「安全地帯」が保証されるからなのでしょう。
自分は大丈夫なのか、我に返りました。
ラジオもテレビも本も、そしてこのブログも、メディアです。不特定多数の人が見たり、読んだり、聴いたりできれば、メディアの条件を充分に満たします。
僕もメディアを持つ端くれとして、「安全地帯」で心地よくなっていてはいけないということに思い至りました。
悪いことには悪いと言ってもかまわないと思うのです。けれども、否定・批判だけではダメ。こんなことを臆面もなく書いている自分こそ、必ず解決策を提示しなければと思ったのでした。
自分が文章を書くときの新しい方針が生まれました。
自分のアンテナに引っかかった面白いもの、興味惹かれるものも収集して記録しています。
不定期連載です。気の向いたときにお立ち寄りください。
http://bookdiary-k.blogspot.com/
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